ワインは人が造る。ブドウは人が育てる。そして素晴らしいワインを伝えるところにも人がいる。日本ワインに関わるさまざまな人たちの想いを綴ります。
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サドヤ
四代目 今井 裕景さん
新しいものが好き。それは好奇心。
徹底的に掘り下げる。それは探求心。
これを長く続けること。そこが難しい。
「でも」とサドヤの四代目は言う。「自分たちも楽しむことができれば難しいことではないですよ」。きっかけはなんでもいい。好きになったものを好きであり続けること。自分たちが信じたもの、自分たちがやっていることを楽しみ続けること。今度は僕が言う。「それが難しいんですよ」。
サドヤが創業したのは1917(大正6)年。前身となるのは、江戸時代から続く油問屋。これを1909(明治42)年に、洋酒やビールなどの代理店として「サドヤ洋酒店」に転業。時代の流れに対してしっかり変化をした…というよりも好奇心が勝ったのではないか、そんな想像をする。
ただ酒を売るのではなく、全国へ飛んだ営業マンが持ち帰った特産品もあわせて販売。サドヤの好奇心は地元・甲府の人々の好奇心も喚起。「ハイカラな良品はサドヤにいけばある」。それは「あそこにいけば何かと出会える」ことでもあった。
そして、1917年、ワイン醸造・販売を手がける「サドヤ」を開業。好奇心の翼は地元山梨のブドウと結びつきながら広がって行く。「あそこにいけば何かと出会える」。それはワインとワインのある文化という今の世にないものだった。
好奇心の次は、探求心だ。ワイン造りをはじめたのは、佐渡屋6代目でサドヤの初代である今井精三氏だった。ワインといえばフランス。ワインを造るならばフランスを知らなければならない。そこには「造る」だけではなく、それを「楽しむ」文化があるからこそ「造る」ための理由がある。日本もこれから国際化を迎え、食や文化が欧米化していくだろう。それが精三氏の展望だった。
その時代を視野に、フランス文化、ワイン造りを学ぶ。それを知らずにワインを商売にはできない。なんという先見。ここから、この当時としてはクレイジーだと思われる取り組みが始まる。
長男・友之助氏にフランス語を習得させ、友之助氏は直接フランスの栽培家から苗木を入手。そこから現在にまで続く欧州産ブドウでのワイン造り、甘口葡萄酒ではない、いわゆる辛口ワイン造りの道が始まる。
試行錯誤という四字熟語でその苦労がどこまで伝わるかはわからないが、日本ワインの歴史を考えれば(VINETREE MAGAZINE「日本ワインの歴史」)、この当時、欧州産のブドウでワイン造り、甘口ではないワインに挑むことの無謀さをまず考えてしまう。
その試行錯誤や無謀のアイコンが「シャトーブリヤン」だろう。このころから現在まで作り続けられているこのワインだが、先例のない中でのスタートだった。1936年、フランスより入手したワイン用ブドウの栽培を目指し、自家農園を開墾。日本で最初のワイン用ブドウ栽培を開始したという。納得のいくブドウを収穫できたのはようやく開園10周年にあたる1946年。このヴィンテージより、いつまでも輝く存在でいようという思いを込め、輝ける醸造場「シャトーブリヤン」とフランス語で名づけた。
フランス語であったこと。ここにも時代の変化を先取りする意志が見える。
歴史が示す通り、日本における辛口ワインの需要は1964年の東京オリンピック以降にようやく広がりはじめたものであり、欧州系ブドウの確立は1980年代にようやくたどり着いたもの。精三氏はおそらく、これらが当たり前になった日本を見ることはなかっただろう。
現在の日本は当たり前のようにワインを楽しみ、世界のどこにもない国際的な食文化がある。氏の先見の好奇心と探求心の源泉はサドヤのワインを味わえば、またワイナリーを訪問すれば、それがいきいきと現在も引き継がれていることがわかるだろう。
甲府駅から10分も歩かない、実に便利な場所にサドヤのワイナリーはある。かわいらしい前庭、欧州の田舎の可愛らしいシャトーを思わせる建物、気軽ながらもロマンティックなレストラン。ワイナリーに神秘性やストイックさを求める人がいるとすれば、開放的で世俗的にみえるかもしれないが、これこそがサドヤなのだ。
あのころ甲府の人々に「あそこにいけば何かと出会える」という好奇心の種をまいたように、ワインのことは詳しくない…という人たちに「あそこにいけばワインの世界の扉を開けることができる」アクセスしやすい場所であるということ。
そして、すでに好奇心を持っている人には、地下のセラーにある資料館や、見学コース、レストランでのワインと食の見事なペアリングの提案などは探求心へのステップの機会を与えてくれるだろう。
この日、ワイナリーを案内してくれた今井さんには、2つの役割がある。
四代目としての顔と、専務取締役としての仕事だ。「自分たちも楽しむことができれば難しいことではないですよ」。
しかし、地下セラーの資料館で紹介される第二次世界大戦中の苦難であったり、日本ワインがまだ評価の中にさえなかったころからの尽力を見れば、「長く続けること」の意志が折れても当然だろうと思う。現在のワインビジネスの現状を見れば経営環境を整えることも簡単なことではない。専務取締役としてその環境を整え、設備投資や品質の向上、営業ルートの確保などに奔走する。
その根本にあるのはサドヤに脈々と引き継がれる好奇心と探求心。醸造設備にはいまだに古いものを創意工夫で使い続けている、サドヤのワイン造りの歴史を語りかけてくるようなものもたくさん残っている。時代遅れ? 専務取締役としての今井さんは言う。
「市の条例での制限や、やはり設備投資の費用の問題があります。ただ、これはこれで今の設備にはない良さもある。今あるものを使っていくことも必要なんです」。続いて、四代目の今井さんが現れる。「昭和のタイルで組んだタンク、大正時代に自分たちで切り出した材木で造った手作りの梁…なんだかかっこよくないですか」。
地下セラーを生かした資料館には苦難とともにそれさえも楽しんできたサドヤの魂が感じられるが、地上に出て、かわいらしい建物、開放的な庭に出れば「そんなことよりワインとワインのあるくらしを楽しんで」というメッセージが伝わる。
精三氏が夢見た、日本にあたりまえのようにあるワインと食とくらしを楽しむ文化。今井さんは専務取締役として頭を悩ませながら、四代目としてそれさえも軽やかに語りながら、さらに当たり前にしていく。
笑顔の裏に感じた。あの時代に初代が夢見たものを、二代目、三代目が経験した苦難と前進を、引き継ぎ、さらに実現させていくという誇りを。
(取材・文=岩瀬大二)
サドヤ
住所:山梨県甲府市北口3丁目3−24
電話:055-251-3671
定休日:無休(年末年始を除く)
ショップ営業時間:10:00~18:00
見学:ワイナリーツアーあり(要予約・有料)
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